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都立忍岡高等学校のそもそもの前身は、1903年(明治36年)に創立された私立日本女子美術学校であり、その意味ではタッピーさんは、藤生君などと並び、由緒ある当学校のスタート時における思いを引き継ぐ存在として、後世に名を残す存在であるわけであります。
現在でも、演劇なんて授業もあるらしいので、サブロー君や、さくら子様、笠井弁護士なども、この歴史に名を残す人たちなのかもね。
今もあるかもしれないけど、我々の時代には、音楽の時間もあったわけですから、アコーディオンなんかやってお僕なんかも由緒正しい忍岡高校の伝統を受け継いでいるわけです、と苦し紛れにつなげる。
とにかくゲイジツはすばらしい。
で、絵というものはいいもんだ。 と思っております。 鑑賞するのも好きです。 ただ、私自身は絵描きではないので、絵を書く人に訊いてみたいことがあるわけです。
美術館なので、一枚の絵に巡り合うとき、いつも、その絵を描いた人の心情に思いを馳せてしまうわけです。 どういう気分で、なんのために、どんな動機で、どんな気分で、描いたのだろう? この絵で何かを訴えたいと思って描いたのか? 何を訴えようとしているのだろうか? なにを感じてほしいのだろうか? 見る人に何をもとめているのだろうか?
音楽の場合は、何らかの気分をShareしたいという心理が働くのではないか? あ、音楽も、ラジオ、テレビ、CD,レコードなどをただ聴くという一方的な音楽と、Liveやストリートミュージック、あるいは、仲間内の、あるいは、何らかの集いの音楽のように互いに影響しあう音楽がありますよね。 絵画というものは、同時進行形でReal Timeに作品を共有できないことが多い。 砂絵とかReal Timeに作品を共有できるものもあるけど、例外的だ。
で、絵を描く人の心の風景はどのようになっているのだろうか? と、いつも気になってしまう。 タッピーさんの場合はどんな感じですか? あなたの絵を見る人のことも考えますか? あなたの絵は描く間が大事なのですか? 描く前が大事なのですか? 描いた後の作品が見る人に語り替えることが大事なのですか? 見る人の反応を期待していますか? 見る人とのコミュニケーションに興味がありますか? あなた自身を絵に投影していて、それを人に見てもらいたいという考えがありますか? あなたにとって絵とはなんですか? 絵描きはとかく語りたがらない、とは限らない、ということは岡本太郎とか、藤生君を見ればわかるのですが、あなたの場合はどうですか? あなたの絵には、あなたの人生が投影されている?
忍岡高校という学校はやはり特徴のある学校だったと思います。 どういうつもりで私立日本女子美術学校などというものが創立されたのか知る由もありませんが(調査不足のため)、我々が芸術といわれるものの近いところにいることができたということは幸せだったと思います。
あの在学中に本物の芸術(その定義は勘弁して。。。。)にあまり多く触れたとも思いませんが、そういう芸術というものが大事なんだ、というか、心のどこかに大切なものとしてもっていてもいいんだよ、という雰囲気をもたせてくれた、ような気がするは、忍岡高校に来てよかった、と振り返って思うところです。
今月中旬にドイツ、スイス、オーストリア、イタリアの一部を駆け抜けるビジネス出張の合間を縫って、数時間だけ、ミュンヘンのNeue PinacotekとAlte Pinacotekという美術館を訪問できたことは幸せだった。 せわしない旅程としのぎを削るビジネスライフの間に、一時の安らぎを覚える数時間は何物にも代えがたい至福の時間でした。
掲示の絵は、マネが描いたモネ、ターナーの絵、ロダンのHelene von Nostitz の像。
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